A. ハイアート B. ローアート C. 表現主義

アップデート中

仕事中ラジオ的に一通り聞きました。
緻密に分析されたエッジィかつ論理的な切り口と、つっこむ気すら失わせるゆるさ極まる身も蓋もない話をうまいことシンクロさせながら、途中、キレつつ、温かく、非常にためになるエンタメ講義でした。


・ART = 西洋現代美術 : ハイアート x 日本人及び美大界隈でのアートとの根本的な差異。
・ARTにおける評価システム。
・ARTの作り方〜育て方
などなどアートワールド全体の包括的な視点と実務的な視点から一通りARTの手法を網羅する内容でした。


村上隆の芸術実践論 第2回 「観賞編」 2/2 の50:00〜 企業秘密のところ
この数分にだいたい凝縮されています。


A.現代美術とは→戦後のアメリカ美術 = 基本ルール
B.ハイコンテクストネタを暗喩化して串刺し(デュシャン x 50年代のアメリカアート x 自国のコンプレックス + x ... )
これを抑えればだいたい上手く とのこと。




村上隆の芸術闘争論#2 日本の美術教育はどう特殊なのか(vs森川嘉一郎)



日本のアートの不思議を、中学校の教科書をモチーフに非常に鋭くロジカルに論じた秀逸な内容です。


で、個人的な分析。


■アートを3つに分類する。
(アートを一つの視点で評価すると大抵話しがまとまらない)


A. ハイアート
B. ローアート
C. 表現主義


A. ハイアート
歴史(美術史、音楽史)を前提としたアート
印象派(もしくはそれ以前の原始的なアート)~現代までの美術史に対しテーゼをする
消費期限:100年以上
ピカソデュシャン、ウォーホル、ジェフクーンズ
ダミアンハースト、アイウェイウェイ、村上隆
モーツアルト、バッハ、サティ、ビートルズ、マイケルジャクソン


B.ローアート
数年〜数十年の範囲の文脈に対しテーゼする、またはある特定の地域に対しテーゼする
消費期限:数ヶ月〜数十年
ダフトパンク、ストリートカルチャー(グラフィティ、エイプ)、パフューム、ピンクレディ、漫画、アニメ
北斎 ※北斎は美術史の文脈にのってないので、現状ローアート。村上隆の活躍でハイアートに昇華する可能性も。ダフトパンク、漫画、アニメも同様


C. 表現主義
歴史を無視した感情的、内発的な表現
または、抽象表現主義、ネオダダ、シュルレアリスム
岡本太郎高木正勝長渕剛ネオテニージャパン
消費期限:数日〜数十年


A.ハイアートは前述の村上隆氏が語っていた内容。美術史など歴史を前提とした、表現。
アートには歴史があるため、作家は歴史に関与する必要がある。そういった意味で村上氏の語るアート=コンテクストの串刺し論には賛成。
また、歴史は政治的、経済的、美術家の活躍によって構築されるため、逆にその時点での世界情勢によって。現在を視点に過去を改変できる可能性がある。故に北斎を美術史上に今後のっけることも可能。例)アメリカグラフィックアートの起源は浮世絵に影響されているとすることも可能である。
また、マイケルジャクソンのように、ローアートからハイアートに昇華させる方法もある。(歴史=クラシック→アメリカで黒人音楽と融合→ジャズ→ファンクミュージック)xポップカルチャーx黒人/白人+死


B.ローアート
ある意味ハイアートもローアート変わらない。
世界の中心である地域がハイアートの覇権をとる特性がある。パリ→ニューヨークに覇権が推移したように、今後地域の推移によって新しい文脈が追加される可能性がある。覇権があるかないかで差別される性質がある。
結果的に覇権がない地域は常にローアート。故に日本画はローアートであり、ハイアート化するには、現状の文脈に沿うように文脈化するしかない。
また数十年単位での歴史コンテクスト上の表現はローアート。日本の漫画やアニメは超インテリジェンスにも関わらず、きちんと整理されていないため、その歴史は数十年レベルとなっているのでローアート。エイプは、戦後アメリカカルチャー→象徴化 だが、戦前の文化は文脈化していないのでローカルチャー。グラフィティも同様。
但し、ローカルチャーは評論によって百年クラスの文脈が追加された時点でハイアート化できる。村上隆日本画や、漫画、アニメをハイアート化しようとしている。



C. 表現主義
表現主義はある時期においてハイアートだった。
20世紀初期、ピカソ、ミロ、シュルレアリスム台頭のあたり。
しかしそれは芸術で個人表現が可能になったという社会背景(市民主義)に裏付けられている。現在は自由な表現がみとめられているため、個人表現は歴史へのテーゼとならない。故にハイアート化しない。
日本では、岡本太郎をきっかけとした抽象表現主義を基盤とした表現主義は強く根付いている。高木正勝など一見コンテンポラリーな印象を受けるが実は内発的な表現の性質が強いため抽象表現主義の延長にあると考察する。



■批判
C. 表現主義 を新しいメディア(映像、コンピューター、空間表現)を使用することで、ハイアートと混在して解釈している人が多い。
前述のビデオのように、ハイアートに於いてC. 表現主義が一過性であるという認識をもてない人が多い。



■考察
ローアートは客単価が低いため、どうしてもマス的になってしまう。
しかし、超美的な表現は常にターゲットが狭い。故に客単価が高い。
アートが単価が高いという性質を持つ以上その価値の必然性を見極める目が必要なため、ユーザーは超インテリジェンス層になってしまう。価値の必然性とは歴史的文脈によって支えられるケースが多い。
結果的に商材として成立するアートはハイアートに限定され、ハイアートは歴史と対峙し、ハイアートは、客に歴史に関与する興奮、誇りを与える必要性が生まれる。


ハイアートとローアートは違いは対象とする文脈の期間的、また客単価の違い。
その二つの違いを利用することで、ローアート→ハイアート、ハイアート→ローアートの親和性が高めることも可能。


表現主義


■MEMO
http://ja.wikipedia.org/wiki/シュルレアリスム宣言
2008年5月21日には、ブルトンの「シュルレアリスム宣言」など9点の自筆原稿がパリのサザビーズでオークションにかけられ、パリの書簡・直筆原稿博物館が、360万ユーロ(約5億8千万円)で落札した。

Cube Light / Ai Weiwei (艾未未)


辛美沙氏がはじめたギャラリーの展示、ということでみにいってきました。
白金の元工場だった場所。夕方の一通りの少ない道にうっすらとオレンジ色の明かりと灯しながら、それはずどんと存在感を放ってました。
中に入るとそのギャラリーの大きさとほぼ同じサイズの Cube Light が展示されていました。その巨大さから身を引いて作品を眺めることは許されず、間近で作品に沿ってを回るようにみせられるのです。
工場の片鱗を残す不思議な空間に無数のオレンジキューブが有機的な光を照らし、作品は、ギャラリーと一体化した不思議生命体みたいでした。


Nov.19 2010 - Jan.29 2011
http://www.misashin.com/
※写真は拾ってきたものなので違う場所です

(data.tron) 池田亮司 Ryoji Ikeda


前に現代美術館であった、「the infinite between 0 and 1」という展示の中の1つ、data.tron。 数センチの数字が数十メートルにわたり、それらが連続的に変化していくという巨大パフォーマンス。超シンプルな矩形波みたいな音と共に人を完全に覆いつくすモノクロの映像は圧巻でした。

正直コンセプトを読んでも数学的でよくわからなかったのですが。
瞬間的に存在する情報を連続的に数値化するとこうなるのかな?
音などの情報も分析していくと一瞬にも満たない短い時間があり、その瞬間と瞬間の間ある情報を解析するような。超マイクロファンタジーな世界のように感じました。
そんな映像作品と一緒に映像の一部の数字群を石版のように石に彫り込んだ作品があります。
シミュレーションされた数字が映像とは別に現実の物理ルールの中に固定され、独自の存在感を放っています。
なんかそれって、超ミクロ界への空想と現実を接合させるような作業にみえて、とてもロマンチックな作品だな、思いました。


November 11 - December 25, 2010

Gallery Koyanagi.
http://www.gallerykoyanagi.com/
※写真は拾ってきたものなので違う場所です

宮島達男 / Warp Time with Warp Self


連続していく「生命」というシンボル。
LEDの数字にそんな秘密があるなんて知りませんでした。
宮島達男さんの作品はなんか画的にきれいだなあ くらいにしか思ってなかったのですが、
本買って読んだみたら、だいぶ間違っていただようです。
ざっと読んだ状態なので違っていただら申し訳ないのですが。
LEDに映る一桁の数字は「生命」をイメージしていてそれが1〜9に変化し、一桁の数字には0(死)が存在しないため、その変化はある種仏教的な輪廻を表現している。という設定のようです。
(個々の数字の変化は、数字自身の固有の時間によって変わる)
そう考えてみたら、すごい臨場感のある作品にみえてきました。


2010年11月12日(金) - 12月22日(水)
SCAI THE BATHHOUSE
http://www.scaithebathhouse.com/ja/

16 Colors of Scene from Cremaster 3

とにかく色調がきれい。


「トランスフォーメーション展」いってきました。


変身という視点で、ゴヤの「我が子を喰らうサトゥルヌス」から仮面ライダーまでをカテゴリー別に分類したりとか、時代を越え、変身というモチーフが芸術家にとって興味深いモチーフであることが自然に演出されたナイスキュレーションな展示でした。
及川潤耶さんの6スピーカを使った音響作品もとても美しかった。
http://www.junya-oikawa.com/work.html


タイミングよく友人の大城くんもいってたみたいです。
http://blogs.elle.co.jp/ohshiro/
彼のブログにも書いてあるけど、
僕も同じく、マシューバーニーのインパクトに完全に翻弄されていました。
キャッチーさと邪悪を調和させた絶妙な美意識みたいなものが、
なんとも言葉にできないセクシーさを放っていて、気がついたら無差別に魅了されてしまうのです。


特に色調がきれい。
植物にあるような、茎、花びらのようなオーガニックに色調に、
実はちろっとだけ、人工的な青(くつしたのところ)が入っているのです。
うーん絶妙。

久々にPVつくりました。 ROCKETMAN/HAPPY END OF THE WORLD

ふかわさんの新曲です。
ガチでつくって欲しいということで、笑える感じでなく、おもいっきりアート路線で作ってみました。
creativecommonで商用ok、二次創作okの写真をひたすら数千枚探して、架空のサイトを作りフォトショップでひたすらコマアニメーションを作るというアホみたいな作業です。
我が社のデザイナーの野末氏と、バイトのacoちゃんの果てしない作業のたまものです。
曲のコンセプトと映像コンセプト、手法をうまいこと一致させて最後まで作りきれたのは、非常に喜ばしことです。それもふかわさんがアートに対して非常に純粋で、詳しかったりするので、あっさりと僕のコンセプトを受け入れてくれたり、victorの西辺さんがうまいことPVの方向性や僕のわがままをマネージメントしてくれたりと、素晴らしい体制で制作に望めたからだと思われます。
おかげさまで僕自身非常に気に入った作品ができました。ありがとうございます。


そして、直接ご連絡ができないのですが、
写真を使用させていただいた世界中の皆様本当にありがとうございます!